それでもなお生き、そして進むのだ。”仕事こそが生きることの意味”

若き日の成功と苦難を乗り越え、自分のやりたいことを仕事にすることの尊さを知る。
24期黒字経営継続中、「日本一、カフェで街を変える男」の激動人生。

佐藤 裕久 氏(株式会社バルニバービ 代表取締役社長CEO)

幼少期からずっと考えてきたシンプルな目標が佐藤社長にはあった。それは、「お金持ちになりたい」という漠然とした夢。親を早く楽にさせてあげたい、自分も幸せになりたいという前向きな上昇志向をもって育ち、中学生の頃には、もう自分の小遣いは自分で稼ぐほどに。大学生になると、その商才はますます発揮され年収400~500万円を稼ぎ、スポーツカーに乗り家賃10万円のマンションに住み、学生の枠を大きく飛び越え一般的なサラリーマン以上の収入を得ていた。自分の才能を自覚しつつお金持ちになりたいという目標に近づいていくと、もはや大学にいる意味を見いだせなくなりファッション業界に飛び込む決意をする。

時はバブル夜明け前、DCブランド全盛期で若者のファッション熱は最高潮。ブランド服を7割引きで販売するという佐藤社長のアイデアは大ブレークし、ついに24歳という若さで起業を果たす。しかし、若くして成功をつかんだ佐藤社長に人生の大転機が訪れる。
ある年の大晦日、元旦を京都の実家団らんで迎えようと帰省していた時のこと、年越しの最中に電話が鳴り響いた。神戸の自宅マンションをストーブの不注意から全焼という警察からの電話だった。慌てて神戸に戻り周囲のご近所に頭を下げ続け茫然とする中、最悪の事態は続く。パリの提携企業の倒産が発覚し、続いて大阪そごうから2店舗同時閉鎖を言い渡される。残債整理はついたものの自己負担2,000万の借金返済が4年間続いた。

ようやく返済のめどがついた頃、運命の1995年1月17日、阪神・淡路大震災に遭う。水・電気・ガスもなく、自分に何ができるかもわからない真冬の大阪で1杯100円の「おかゆ」を売った。まだ失意の中にあった自分にかけられる『ありがとう』という感謝の言葉に涙が止まらず、幸せな気持ちで満たされていった。「食べ物を売って喜んでもらう」。これから自分の目指すべき道との出会いとなる体験だった。今では街を変える男、人の流れを作る天才といわれる佐藤社長の原点は、つらく耐え抜いた日々と人の死に直面した時のあたたかい「一杯のおかゆ」にあった。

経営者にとってお金を稼がなければ何もはじまらない。でも人をどう喜ばせるか、そして自分が本当に喜んでいるのかはもっと大事なことである。「仕事の中に人生そのものがある」経営者にとって忘れてはならない力強い言葉を頂きました。佐藤社長、ありがとうございました。

ビジネスマッチングプレゼンテーション、5分間プレゼンと90秒PRに計6名がチャンレンジ!

5分間のビジネスマッチングプレゼンテーションには(株)イーアンドシーエスサポート 掛川 幸子様が、90秒PRスピーチには(株)カイシン 牧野様、(株)ユイナス 古里様、(株)パブリックダイナー 加賀崎様、stories(株) 竹口様、(株)能のHana 奥川様がチャレンジされました。

会員数まもなく3,000社以上、これからもパッションリーダーズは、【みんなで絆を深め、仕事も遊びも、本気で人生を楽しもう!】の変わらないコンセプトを基に、常に革新的進化をする経営者交流会を目指します。